~「何者かになりたい」若者の願望とアイドルオタクは両立するか~ 大学生によるアイドルオタク卒業に関する一考察です。

昨年6月に始めたこのブログ、この記事で100記事を達成しました。人生75年として、その100分の1ほどの人生に関する記憶が文章として残っているというのは非常に面白いことだと思います。10年後,20年後の自分が見返した時には懐かしく大学時代のことを思い出すのでしょうか。飽きずに続けられているのは見てくださる皆さんのおかげです。これからもよろしくお願いします。

記念すべき100記事目の内容はいろいろ悩んだのですが、せっかくなので等身大の大学生オタクを発信するという初心に戻ってみようと思います。それは、「いつまでアイドルオタク続けるの…?」という周囲からの疑問についての話題です。

私は根っからのオタク気質を持った人間です。出身が田舎だったこともあり小さい頃はなかなかライブやイベントに参加できませんでしたが、もらったお年玉はほとんどCDに消えていました。もしそのような環境が近くにあれば間違いなく参加していたことでしょう。オタクっぽい文化を揶揄するような風潮が流れる小学生の頃からアイドルオタクへの道を驀進していたのです。

中学校や高校にもなると同じような趣味を持った人もちらほらと現れ始めます。私は決して友達が多いほうではありませんでしたが、オタク関係なくもともといた友達に加えてオタク仲間のコミュニティができたことで十分に満足のいく学校生活を送ることができました。相手の側もオタクであることによるメリットを感じていたことでしょう。

しかし、アイドルオタクはいつからかほぼ例外なく「オタクやめたい」のフレーズを口にするようになります。そのほとんどはアイドルオタクの世間的なイメージの悪さを自虐的にネタにしたものであり、実際にやめたいと思っている人はほとんどいません。ただ、全てのオタクが死ぬまでオタクを続けるわけではありません。言い換えればある時点を境に彼らはこのフレーズを本気で口にするようになるわけです。

一般的にアイドルオタクが敬遠される理由は、アイドルという自分のものになるはずのない空想に近い存在に莫大なお金をつぎ込むというその非常識さにあると私は考えています。その対象が美しい異性である(もちろん同性の可能性もありますが)という事にもその気持ち悪さに拍車をかけているのかもしれません。

しかし、アイドルオタクをしている人間はこれらの敬遠を受けることにははっきり言って慣れています。むしろ一般人が引くほどの熱量で推しを応援していることに誇りを持ってさえいるでしょう。

では、その好奇の目がアイドルオタク卒業のきっかけになるのはいつのタイミングか。それは結婚や出産といったライフイベントを意識するようになったタイミングであることが多いでしょう。結婚は相手があって初めて成り立つことです。これまで一種の誇りですらあった一般人とかけ離れた感覚を持っているという個性は、自分が相手に受け入れられることが必要になった途端にごみ箱に放り捨てたくなるわけです。

ただし、この考えはオタクを続けながら結婚や出産を経験している人が少なからずいるという事実を上手く説明できません。彼らのすべてがオタク同士で結婚しているのならまだしも、全く趣味の違う相手結婚している人も大勢います。「結婚を意識するタイミングでオタクをやめる人は本物のオタクではない」とまで言い切るつもりはありませんが、個人的には他に原因があるのではと思っています。

また、そもそも結婚を人生における幸せと考えていない人についても説明が不十分です。人からの評価ではなく自分自身の中にその原因を見つけるほかありません。

少し話はそれますが、ここ最近私は大きく環境を変えようとしている友人に複数人会いました。プライバシーに関わることなので詳しくは言えませんが、彼らは皆社会の多くの人が乗っているレールから外れて自分だけの道を切り開こうとしていました。

そして、私は彼らの行動に「社会の中で何者かになりたい」という多くの人が持っている漠然とした願望を感じました。それはある人にとっては会社の中で出世していくことかもしれませんし、ある人にとってはスポーツ選手として名を挙げることかもしれません。少なくとも社会の中に埋もれた凡庸な人はなりたくないという意思は共通しています。

今の若者は積極性に欠けるなんてよく言われますが、少なくとも私の周りを見る限りには全力でその発言を否定したいと思います。むしろインターネットによって自分の可能性が開けたことで、実際に「何者かになる」ための行動を起こす若者は増えていると感じます。

話を戻すと、アイドルオタクという趣味は自分以外のいわば偶像に資金や時間をつぎ込むものであります。それを上回るだけの生きがいを推しから貰っていることは全てのオタクが同意する紛れもない事実ですが、それについては普段のブログを見ればわかりますからここでは省きます。

ここで問題なのは、つぎ込まれた資金や時間がそのままの形で戻ってくることはないという事です。しかし、夢をかなえるための行動には必ず元手となる金やそれを消費するための時間が必要になります。要するにこれは夢を持つ若者が「何者かになる」ための元手が無くなるということを意味するのです。この事実に気づいた時、若者はアイドルオタクをやめることを本気で考えるのではないでしょうか。

では、この事実に気づいた私がすぐにアイドルオタクをやめるかと言われれば答えは否です。

まず、これまで生きがいとしていたことをすぐに断つというのは非常に危険だと思うからです。いくら夢に向かって動くとはいえ、一切の休みもなく働き続けられる人はいません。そして、休息は体だけでなく心にも必要なものです。これまで心の休息に大きく役立っていたであろう存在を急に絶つのは、いい方向に物事が進む気がしません。

また、一口にアイドルオタクといっても、生活の中で推しが占める割合は人によってまちまちです。自己成長のための資源が無くなっているような人は、全国で行われるすべてのライブや握手会に参
加するようないわゆる「追っかけ」と呼ばれる人が多いでしょう。

古代ギリシャの哲学者であるアリストテレスが、人間の行動において両極端を避けるべきだという中庸の考えを説いたことはあまりに有名です。アイドルオタクにおいても、生活のすべてをアイドルに支配されることとアイドルに関する情報を全てシャットアウトすることはどちらも避けるべきでしょう。自分が思い描く人生像と自分の現状を鑑みて上手に趣味をコントロールすることが大切なのです。そうすれば「何者かになりたい」という願いとアイドルを応援したいという願いは両立されると思います。これは何もアイドルオタクに限ったことではありません。

ちなみに私はどちらかというと遠くから輝く推しを眺めていたいというタイプのオタクです。こういうタイプのオタクは、どうしても推しから自分の存在を認知されたいタイプのオタクに比べて消費する資源が少なくなります。つまり、自分の願望と両立されやすいわけです。

自分の現状を肯定する結論をそれらしく導いただけ、と言われれば確かにそうかもしれません。しかし、大切なのは自分の現状を客観的に把握しようと努力することでしょう。人の批判をする前に自分のことを顧みようとする姿勢を大切にしたいと思います。

以上、今回は大学生が考えるアイドルオタク卒業についての話題でした。100回記念ということで少し気合を入れましたが、次回以降は普段通りの推しが可愛いというだけの単調な記事に戻ります。笑 これからもよろしくお願いします。


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